裏金とか談合とかいうと、悪いものだと感じます。
ガラパゴス携帯というと日本でしか受け入れられない遅れたものという印象を持つかもしれません。
しかし!全ては逆です!
日本は進み過ぎていて受け入れられないという話です。
例えば裏金とか談合って、良くないものという意識があります。
確かに不公平に感じますけれど、これが国と関係無く、自由市場で行われていたらどうでしょうか。
別の言い方をすると義理と人情って話にもなりますよね。
普段お世話になっている人との関係を大切にし、多少高くても仕事を依頼します。
これって悪い事でしょうか?
そういうのを止めてどうなったでしょうか。
兎に角安い所を探して仕事を依頼する事で、価格競争と価格破壊が起こりました。
商売をしている知り合いの話によれば、いい仕事をしても次はまた価格競争なのだそうです。
得意先というのが定着しないようになってきたのです。
得意先というのはある意味義理と人情による談合だったりするわけです。
これって駄目なんですかね。
駄目な所と良い所を混同し、今日本は退化しているのではないでしょうか。
経済活動は自由な方がいいのです。
談合や裏金は駄目だという流れは自由とは逆なのです。
世界はまだまだ裏金や談合があたり前です。
これは進んだ世界なのでしょうか、それとも遅れているのでしょうか。
日本がずっとやってきて、今無くそうとしている世界です。
これは悪い世界なのでしょうか?
それを止めようとしている日本は今、それがあたり前の世界の中で負けています。
駄目なんですかね。
サッカーでは選手が相手選手のユニフォームを引っ張ったりします。
これはルール上やってはいけませんが、あたり前に行われています。
冷静に考えると、フィジカルの強さを競ったり、審判の目を欺くのも上手さだと言えば言えなくもありません。
そういうのを競っていると考えれば、これはこれで慣習ルールとしてアリなのです。
談合や裏金も、真っ当にやっている人から見れば邪道でしょう。
けれどそれもまた慣習ルールとしては認められているのが世界です。
オリンピックの裏金も、あれは慣習としてあったのです。
それを暴いて指摘した所で、『あ、うん。それはまずいね!{棒}』って話なわけですよ。
慣習が良いか悪いかはありますけれど、慣習化しているものは認めているのが世界だそうです。
日本はそれに対して、別の価値観で否定しています。
そしてそれが足かせとなり、上手くいかない事が多いです。
これは、どう考えるべきなのでしょうか。
ガラパゴス携帯に関して、私はスマホよりも優れていると今でも思っています。
スマホはスマホで便利ではありますが、電話としてはやはりガラケーなのです。
何でも一緒にした方が良いというのも違いますし、日本は独自路線でも良かったはずです。
でも世界に合わせてきました。
これはどうしてでしょうか。
世界に合わせた方が良いと考えたからです。
だったら世界の慣習にも合わせていいのではないでしょうか。
日本は進んでいるようで遅れている国ですよね。
他とは違う発想を積極的に取り入れますが、やり過ぎて受け入れられない事が多いです。
良いか悪いかを世界に任せるのも違いますけれど、よりメリットのある方法をとるのが正しいと感じます。
日本人はすぐに『あれは駄目だ!』と否定しますけれど、何が駄目でどういうメリットがあるのか、よく考えて道を決めたいですね。
結局言いたいことは、談合とか裏金とか全てを否定しないでって事です。
談合文化 日本を支えてきたもの (祥伝社黄金文庫)
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