今日は、平等ではなく公平を目指そうという話をします。
平等と公平の違いからまず話します。(*´ω`*)
平等とはみんな同じという事ですね。
公平とはお互いが納得できる、或いはできなくても同じような気持を共有できるようにする事です。(;´・ω・)
えーつまり‥‥あらゆる理由や説明を踏まえて考えて、バランスをとって納得してもらうのが公平です。
たとえば10歳のお姉ちゃんと、5歳の弟がいます。
ケーキを買ってきて二人に分け与える事にしました。
平等だと無条件に半分こです。(*´∇`*)
しかしお姉ちゃんは納得しません。
自分は半分だと1回で全部食べ切ってしまって物足りないですが、弟は3回に分けても満足できるおやつとなるからです。
そこで公平という考え方が出てきます。
1回で食べきれる量を両者に与え、その割合で残りも分ければいいわけです。
まずお姉ちゃんに二分の一、弟に六分の一、残り三分の一を再び最初の割合で分けるわけです。(*^ー゚)b
簡単に言うとお姉ちゃんは弟の3倍食べるから、お姉ちゃんが四分の三、弟が四分の一ですね! (゚∀゚)
ところが今度は弟から意義ありの声が上がります。
年は倍しか違わないのだからそれに合わせるべきだと言うのです。
つまりお姉ちゃんが三分の二、弟が三分の一が妥当だというわけですね。(;´∀`)
こうやってお互いが納得できないまでも同じくらい納得できる所、或いは両者が納得できる所を探ってやるのが公平というわけです。
+。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
実は平等と公平がごっちゃになっているのが現状ですね。
そもそも平等なんてのは無理な話なんですよ。
何故なら、生まれながらにして人は皆違うのですから、同じにするのは不可能なのです。\(^o^)/
イケメンに生まれたかった、可愛く生まれたかったなんてありますよね。
金持ちに生まれたかった、アメリカに生まれたかった、いくら言っても叶えられません。(;´・ω・)
平等は不可能なのです。
だから普段言われいる目指すべき平等というのは、公平の事なのです。ド━━━━m9(゚∀゚)━━━━ン!!
それを平等という言葉を使うから、何処かおかしいと感じてしまう事があるのです。
平等でないものは差別と言いますが、違うのです。
公平でないのが差別なのです。( ・`д・´)
例えば男女間の公平を考えるのなら、私は『どちらに生まれ変わりたいか?』で判断するのが一番公平だと考えています。
わざわざ政策の為にそんなアンケートをしたら嘘も交じるので使えませんが、現在単純なアンケートでは女性の方が多い結果が出ているのですよ。
既に男尊女卑なんて言葉は当てはまらない状態になっているのです。
在日外国人の問題も、これは問題と言って問題ありません。
世界中には国があり、国の国民の幸せが第一に考えられて当然です。
だから国民が外国人に対して不満がでるような差は、基本的にはつけるべきではありません。
それは不公平です。(っ`・o・´c)
もちろん国際ルールによってお互いに守るべき部分は仕方がないでしょう。(*゚ー゚)
しかしそれ以上は、国民の納得があって初めて公平となるのです。
何故なら、外国人には嫌なら本国で暮らすという選択肢があるのですから。
自国民には、自国以上に権利を主張できる国は存在しないのです。
どうしてもその国での権利が欲しいなら、国籍を取得するという手段もあります。
外国人でありながらその国で権利を主張する行為は、公平から逸脱する行為、すなわち自分達を差別しろと主張するのと同じです。
それはおかしな話です。( ´ Д ` )
人は生まれながらにして不平等です。(っ´ω`c)
それを無理に平等にするのは、不公平な事になります。
助けるという行為は、基本的に全て不公平です。
しかし納得できる範囲でやれば、それは公平の範囲内となるわけです。
我々は日々平等という言葉に踊らされながら、不公平に我慢しています。
それは納得できる範囲なのでしょうか。
今それが世界で問われている気がしますね!
このカラクリに気が付いて、不満の声が上がり始めています。
平等利権者に騙されてきたとも言えるかもしれません。
このカラクリに気が付いたのがイギリスのEU離脱であり、アメリカ国民のトランプ支持です。(*゚ー゚)
そろそろ平等ではなく、公平を目指してしっかり考えていかなければならない時期が来たのだと、私は考えます。
ε===(っ≧ω≦)っ