先日の障害者殺傷事件の容疑者が刺青を入れていたという事で、少し刺青に対する偏見を指摘する意見もありました。
そこで少し刺青の歴史を調べてみて、刺青をどう見たらいいのか考えてみる事にしました。(*゚∀゚)
江戸時代の、『火事と喧嘩は江戸の華』という言葉は誰もが聞いた事があるでしょう。
どうやらこの時代、勇ましい火消し達が刺青を入れていたそうです。(゚∀゚)
顔が焼けただれても誰だか分かるようにとの意味もあったようですね。(*´ω`*)
飛脚が褌一丁でいると心もとないので、全身刺青でそれをカバーしたという話もあるようです。
なるほど面白い使われ方をいています。(*´∇`*)
この頃までは基本的に『勇ましい男の証』のような意味合いが結構あったようです。
しかし江戸後期に禁止されていくそうです。(;´・ω・)
欧米列強が迫ってくる中にあって、反社会的で秩序を乱しそうなものは良くないですよね。(;´∀`)
決して刺青がそういうものではなく芸術性の高いものだったとしても、それをする人が強い男たちでその象徴的なものだったのですから、禁止する理由も分かります。
例えばの話、日本の殺人犯罪者の9割が葉っぱを口にくわえて殺人を行っていたら、それを真似る行為は良くない事だと言われますよね。
これから秩序をしっかりして喧嘩とか無い世の中にしようとすれば、喧嘩の象徴的な集団がやっていた刺青を禁止する意味も分かります。
こうして禁止された刺青ですが、禁止されても尚裏の世界の猛者たちが引き継いでいきます。
ここからの流れは、もう今に繋がりますから分かりやすいです。
法律を犯しても刺青を入れたい猛者、それが渡世人へ、そして今のヤクザや暴力団へと受け継がれていくわけです。
今では法律では禁止されていませんが、日本での歴史を考えると『強い男』『暴力』『喧嘩』『反社会的』といったイメージになります。
これは日本人が歩んできた歴史であり、既に文化になっていると言えるでしょう。(*゚ー゚)
私は実は単純に暴力団を否定はしていません。(∀`*ゞ)
実は無くても困る事は出てくると思っています。
だから刺青は、こういう世界で残っていってくれればいいかなって気がしています。(っ´ω`c)
表の世界で生きる一般人と、裏の世界の秩序を取り仕切り守る人とを分ける印。
私はあまり綺麗事で片づけてしまうのが好きではないので、これはこれでアリなのではないかと思ってしまうわけです。
それでうまくいっているのなら、否定する必要はありません。
もちろん問題はあるのでしょうが、だからと言って暴力団を無くしてしまえば解決するのでしょうか。
同じような犯罪、或いはもっと酷い犯罪が増える気がします。
だからと言って今は自由ですから、刺青=暴力団、という見方はしない方がいいでしょう。
ただ、やはり今までの歴史を考えれば、日本人の感覚として刺青は裏の世界の住人の証でもあるわけです。
例えばキスは海外では挨拶だとか言われますが、日本人は今でもそんな事には使いません。
それは日本の文化ではないからです。(ノ´∀`*)
それぞれの国にはそれぞれの国の価値観があっていいんですよ。
刺青に対して偏見を持つ人が多い間は、それはそれで日本社会では正しい事なのです。
その目がある中で刺青を入れる人は、相応の覚悟をして入れるべきなのです。
いずれ不要な文化は自然と無くなっていくでしょう。
文化や習慣というのは、無理に別の方向に強制しようとすると副作用が出てきます。
今世界を無理にまとめようとして色々と問題が出てきていますよね。
違う文化の人を理屈でまとめようとしても無理なのです。
時間をかけてゆっくりやるしかありません。(*゚ー゚)
刺青も、いずれファッションとして素直に認められる時がくるかもしれません。(*´ω`*)
でも今は、『怖さを演出するもの』だったり『貫禄を付ける為のもの』だったりもします。
それを入れる人がどういう人なのか、想像すればやっぱりまだまだ偏見を持つのは仕方がないのではないでしょうか。
偏見をどうしても否定したい人は、刺青と犯罪率の関係を実際に調べてみてもいいですね。
そこに全く相関関係が無ければそれを発表する事で偏見もなくなってゆくはずです。
偏見とは理由もなく他とは違った偏った目で見る事です。
理由相応であれば偏見とは言いません。( ・`ω・´)
偏見をなくす為には、刺青を入れている人が反社会的活動をしない事が大切ですね。☆(ゝω・)v
その逆、反社会的活動をする人が刺青を入れないでもいいですよ!(・∀・)
ちなみに私は刺青を見ると怖いと感じます。
これはもう染みついているものだから変わらないでしょう。
ただ世代を変えて行けば徐々に薄すめて無くしていけるものだとは思います。
いつかはファッションとして自然と受け入れられればいいですね。 ヽ(*´∀`)ノ
ε===(っ≧ω≦)っ