どんな言葉を発しても、必ず傷つく人はいたりします。
今日はいい天気ですねぇ~(*´∇`*)
そうですね~(;´Д`)。oO(雨が降らなくて畑がヤバいのに!)
好きな食べ物はウニだよ!(・∀・)
俺は唐揚げ(;´Д`)。oO(ウニなんて高くて食えない!)
これは極端な例ですが、世界は広いので概ね何を言っても誰かが傷つく可能性はあるのです。( ・`д・´)
それをまず理解しておいてください。
では差別に関してです。(`・ω・´)
差別とは、差によって別ける、或いは別けて差を付ける事ですね。
当然ここでも言葉にすれば傷つく人がいる可能性があります。
むしろ普通の言葉よりも多くなります。(*゚ー゚)
女の子は可愛いね~(*´∇`*)
c(`Д´c) (男の娘だって可愛いのに差別だ!)
男は流石に力持ち!(・∀・)
c(`Д´c) (女だってやればできるもん!)
人を分けて発言すれば、その間で差が生まれますので、何を言っても差別になります。(;・∀・)
みんな必ず差別をしながら生きていると言えるでしょう。
しかし当然ですが、全てが否定されているわけではありませんよね。 (ゝ∀・*)ノ♪
不当な差別が批判されているわけです。( ・`д・´)
具体的には、理由も事実関係も無いのに、不当に差を付けたり、悪い印象を与えたり、排除しようとしたりする差別が駄目なんですね。
分かりやすいのはレッテル貼りです。( ´ ▽ ` )ノ
差別用語って、言ってみればレッテル貼り用のレッテルです。
キチガイという言葉は色々な意味を持っていますが、その極一部が悪い意味でのレッテル貼りに使われるから差別用語になっていると考えられます。
そう考えると、ネトウヨやパヨクも実は差別用語と言えるわけで、これらを使う人は皆悪い差別を許容していると言えるでしょう。
でもこれくらいならまだ悪口を言っている程度で可愛いものです。(っ`・o・´c)
本当に酷い差別主義者というのは、どんな小さな、或いは悪くない差別でも批判する人です。m9(゚∀゚)
自分は他人に対して平気で『それは差別だ!』と言って勝手に差別認定します。
『おまえは差別主義者だ!』と自分基準で酷いレッテルを貼っているのです。
しかし自分の発言は正しいからと許します。Σ(゚д゚;)
普通の人は差別を批判せず言動の何がどうしていけないのかを考えますし、指摘を受ければ見つめなおすのが当然です。
なのに差別主義者は、全て自分基準で決めつけてレッテルを貼ったり批判したりするわけです。
するとどうなるでしょうか。(;・∀・)
差別主義者の基準で世の中の悪い差別基準が決まっていく事になります。ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!
例えばキチガイは放送禁止用語になっていますが、ネトウヨやパヨクはそんな事はありません。
どっちが差別に使われる事が多いかを考えれば、むしろ逆ではないでしょうか。
しかも相手に悪い印象を与える為に存在する言葉です。
おかしな話ですよね。(っ´ω`c)
差別主義者は、差別批判という手段で誰かを一般人と分けて差を付けてきます。( ・`ω・´)
差別は誰もが行い、必ず誰かが傷つくものですから、差別主義者のレッテルは誰にでも貼る事ができます。
それを利用し、レッテル貼りという差別をし続ける人こそ、最も差別主義者であるとは思いませんか?(*゚ー゚)
差別は人を表す言葉を口に出すと必ず行う事になります。
だから当然全ての差別が悪いわけではありません。
そしてその線をどこに引くのかも難しい問題です。
言葉は発すると必ず誰かが傷つく可能性のあるものです。
人は差別し、知らない間に人を傷つけながら生きているのです。
そんな中ですから、差別批判というのは簡単にできてしまうものです。
それを利用し差別主義者のレッテルを貼ろうとする行為はあまりに酷いと感じます。
本当に誰もが差別だと感じる時以外は、『差別』という言葉を使う事は控えた方が良い気がしますね。☆(ゝω・)v
差別と批判する人に感じていたしっくりこない気持ちの謎がようやく解けましたよ!(・∀・)
ε===(っ≧ω≦)っ
ちなみにレッテル貼りは、不特定の人をまとめて貶める為に使われたり、悪くない人に対して悪い印象を持たせたりするので駄目な事が多いわけですね。
そういう差別だから差別と言って批判できるものなのですよ!
もちろん、全てのレッテル貼りが悪いわけでもないので、何でも『レッテル貼りだ!』と批判するのも違いますからね。