昨日は仕事関係の人と色々と話をしました。
本当に色々とね。
それでまあ多少余裕ができたので、今日は記事を書きます。{笑}
というか、実は昨日ふと思ったんですよね。
日本人をユダヤ人のようにしようとしているのではないかと。
ユダヤ人という存在を知った日本人は、おそらく世界で唯一ではないかと思うのですが、『この人たち凄い』と評価したらしいです。
差別の対象とか、悪い奴らなんて考えず、純粋にアイデンティティーを守って、差別されながらも世界中で高い地位についている人達を、称賛せずにはいられませんでした。
さて現在、日本人は日本という国が唯一の生きる場所と言えるでしょう。
よそに行けばよその水に馴染むのが日本人であり、この国が無くなれば日本人的な気質は失われる事になります。
もしも国が無くなって生き残る手があるとしたら、日本人もユダヤ人のように優れた民族となり、世界で活躍することですね。
人の上に立ち、世界を導く側になるのです。
でもそれでいいのでしょうか。
中国の華僑だったり客家は今、世界でどういう風に見られているのでしょうね。
正直、争いの種にならなければいいなという思いです。
アイデンティティーを守る事は別に反対はしません。
しかしアイデンティティーというのは、自分で自分を差別する事に他ならないのです。
その分必ず他人からも違いを意識されます。
その時、極端な形は必ず妬み嫉みという感情につながるでしょう。
例えば今の日本では、日本人がやりたがらない仕事を外国人を呼んでやらせようという流れがあります。
それでいいのでしょうかね。
日本の教育で賢くなった日本人は、嫌な仕事をせずみんな人を動かす立場になり、実際に働くのは外から連れてきた外国人というわけです。
その流れが進めば、やがて人口比が近づき、完全に分かれた立場によって争いが起こりそうな気がします。
ユダヤ人はそこまで極端ではなく、偶々人々が嫌がる金融業をやらされる中で金持ちになっていったわけで、少し内容は違います。
しかし妬みや嫉みを生む事自体に変わりはないですね。
同じ日本人同士でもある感情が、特定の民族か人種に偏れば、当然勢力を分けての争いに発展するのです。
どうするのが良いのかはハッキリとは分かりません。
ただ、今は日本という国を守り、日本人だけでなんとかやっていった方が良いと思いますね。
将来的に争いの種になりそうな構造を、わざわざ作るのはおかしいです。
何にしても、上下関係を人種や民族によって完全に分ける可能性がある行為は愚行だと感じます。
単純な労働力欲しさに移民を受け入れるのは絶対に止めた方が良いと思います。
移民の経済学
ε===(っ≧ω≦)っ