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2016年11月15日火曜日

オタクが日本を救う?最近自分の身に起きた出来事を踏まえて今の日本がおかしいと思う事!

今日は2点、今の日本がおかしいと思う部分について話をしたいと思います。
いやいや、決して全てがおかしいと言うわけではありません。
ただ、多少取り戻すべきものではないかという話です。
古き良き日本にあったものは、実はかなり大切なものだったのではないかと最近思うわけです。

一つは仕事についてです。
世界の中にあっては、日本もグローバルルールの中でやっていくしかありません。
そして競争となれば、よりルールに適した方法で戦っていくしかないのも分かります。
しかし、大企業だけが生き残り、全てがどこかの組織に所属しなければ生きていけない今の世の中は、本当に正しいのでしょうか。

昔は皆、個人で仕事をしていました。
武士、農民、職人、商人、それぞれが生まれた家の役割を受け継ぎやっていました。
もちろん、全てがそうではありません。
ただなんとなくそういう風潮の中で、それが『普通』だったのです。
そして皆、地域ごとに助け合いが有り、例えばテレビはこの店で買う、肉はこの肉屋、野菜はこの八百屋というように、多少値段が高くてもみんなで持ちつ持たれつで支え合いやっていました。
商店街は、そういう支え合いが形になったものと言えるでしょう。

さてしかし、量販店や大手スーパーが地域にでき、インターネット販売が普及し、物が安く買えるようになりました。
すると皆、地域の助け合いを捨て、そちらに飛びついていく事になります。
物が安く買えるというのは良い事ですが、逆に支え合いが無くなり、自分達の仕事も上手くいかなくなります。
個人で戦える時代は終わり、集団に所属しなければやって行けない時代となりました。
当然、持ちつ持たれつでやっていた時と比べると格差が生まれます。
給料の高い人と低い人にわけられ、その差はドンドン広がりました。
年金は今でもサラリーマン優遇の形ですが、今ではもう個人で商売するリスクの方が高く、この辺り見直すべきですよね。
皆がどこかしらに所属できればいいですが、人には向き不向きもありますし、特に職人は一人で黙々と仕事に打ち込みたい人が多いです。
会社に入ったら、仕事はやりたい事と違うものが与えられ、上手くいかない場合も多いのではないでしょうか。

実は私がそうですね。
私は基本的に職人気質です。
ただ一つの事に打ち込み、黙々と仕事を自分のペースでやっていきたいのですが、いざ組織に所属すると、気が付けばやりたかった事と全く違う仕事をしていました。
それでも打ち込める環境が有れば良いのですが、もちろんそうはなりません。
組織に所属すると、職人は職人だけではいられないのです。

親の仕事を子が受け継ぐ、これに対して職業選択の自由が無いという批判はあります。
政治家の世襲に対しても疑問を持つ人が多いでしょう。
しかし逆に、子供の頃から親の仕事を見て育ったわけで、何もない人がやるよりはよっぽどマシな可能性があります。

そして今、全てが効率を求めた結果、組織に入って働くという形に馴染めない人があぶれ、仕事ができず生活保護受給者が増えるという流れになっている気がします。
一方では確かに効率を求めて大きな利益を上げるのも良いでしょう。
しかしもう一方では個人が生き残れる世界も必要だと思うのです。
インターネット販売がこれだけ普及してきた今ではもうどうにもならないかもしれませんが、地域で個人が支え合って生きていく心が有れば、できない事もないはずです。
全てそうするべきだとは思いません。
世界と戦っていかなければならないわけで、明治維新で推奨されたカンパニーは必要なのですが、同時に古き良きつながりのある地域社会も必要なのではないでしょうか。

それと話がつながる所もあるのですが、家族の形についても最近疑問に思っています。
このままでは駄目だと感じるようになりました。
教育勅語を復活させ、日本の良き姿をもう一度考え直す必要があるのではないでしょうか。

今の日本は、成人したら親元を離れ自立し、別の所に新たな家族を作っていく事になります。
しかし昔の日本は、長男は親の元に残り、その結婚相手はその家に入り、家を守っていくという形がありました。
それぞれの人生なのだから自由だと言ってしまえばそれもそれで分からなくはありません。
ただ、最近それでは駄目なのではないかと感じるのです。

私は長男であり、商売人の家に生まれました。
商売人というより、職人系ですね。
私は家を継がず、やりたい仕事をする為に家を出ました。
でもこれは間違っていた気がするのです。
もしもこれがあたり前だったら、人は子を産み親となり、子が成人して出て行けば、もう何も残りません。
その後は老いて老人ホームや介護施設に入っていくだけでいいのでしょうか。
私は寂しさには強いですし、自分がそうなるのは仕方がないと思っています。
ただそんな社会は嫌だなと思うのです。
長男だから必ず家業を継がなければならないとは思いません。
時代の流れも早いですし、同じ商売を続けられるとは思えないからです。
ただ、家は受け継いでいかなければならないのではないかと思うのです。
親と暮らすなんて嫌だと思う人も多いと思います。
私もそう思って家を出ました。
しかし今になって、一緒に暮らしていくべきだと感じるのです。

どうして世の中に老人ホームや介護施設がこれほど必要なのでしょうか。
それは子が親の面倒を見る事を放棄しているからです。
経済的にはそこに金の流れができますからいいのかもしれません。
しかしそこに人としての幸せはあるのでしょうか。

金を使わず金の流れが止まってデフレになるなら、ドンドン金刷って国がばら撒けばいいじゃないですか。
嫌でも使うようになりますよ。
親の面倒を見る子が、一緒に親の為に金を使ってもいいわけですし、経済的な理由で子が親の家を継ぐという形を否定はできないと思います。

一極集中、東京に集まって経済活動をする事は確かに効率は良いかもしれません。
しかしそれだけ、それについていけない人があぶれ、生活保護受給者にもなるのです。
地方は疲弊し、個人事業者は苦しみ、全体的にはマイナスになっているように思います。
皆が東京で働きたいと思うのなら、それはそれで仕方のない所でしょう。
ただ、そうならないで、地方では個人の繋がりを大切にした場所も守って行けるような政策が必要なのではないかと思います。
そして家族の形をもう一度見直して、長男が家に残る形をあたり前として考える事も、やはりある程度はあった方がいいのではないでしょうか。

最近オタクの中に、引きこもりニートというのがいます。
こういう人って今の社会の負の部分ですよね。
集団の中ではやっていけない職人気質の人で、高い能力を持っている分野もあるけれどそれを活かせず。
親元を離れるのがあたり前の風潮の中、逆に家に残る方が自分に合っている人。

私が思うのは、結局どちらかに偏り過ぎても駄目だという事です。
今は女性も働きに出るのがあたり前の風潮ですが、行き過ぎていると感じますね。
基本はやはり男性の家に嫁ぎ、相手の家族を支える役割で有ってほしいです。
別に男性が家庭を支える側になっても良いのですが、やっぱり適材適所ではないですよね。

私は正直色々と失敗したと思いますよ。
古いタイプの人間だと思っていましたが、色々な所でやはり現代人でした。
そして色々と間違いを犯した気がします。
長男は親と家を守り、親と共に暮らす。
長男と結婚した女性はその家に入り家族を守る。
これはやっぱり必要だと思います。
これをやり過ぎるとそれについていけない人が苦しむ事にもなりますから、強制はできません。
ただ、どちらが社会として安定して良いのかを考えると、私はそっちだと思うんですよね。

少子高齢化で今後お年寄りの扱いに益々困る事になりますよ。
誰が親の面倒を見るのか、ある程度決まっていた方がトラブルもないはずです。
私は長男ですから、それを喜んで受け入れたいと思っています。

オタクニートって、自宅警備員とか言ったりしますよね。
実はこれこそが、社会に対する最大の警告だったのではないでしょうか。
オタクニートがやがて親の世話をして家を守る事になります。
その時、オタクニートの数だけ日本は救われる事になるかもしれません。
親を支えるのはやはり子供で、そこにある幸せに皆が気づかされる事になるでしょう。
そんな未来も、もしかしたらあるのではないかと想像します。

なんにしても、なんでも自由だって風潮は行き過ぎです。
子が親の面倒を見る、地域で助け合って生きていく、そういう古き良き日本にあったものを、もう一度見直したいですね。

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